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韓国慶州編




韓国は、釜山経由慶州へと2004年4月7日から4月10日まで3泊4日の旅へと出かけました。慶州は、紀元前57年から935年まで新羅王朝の都としておよそ千年の間栄えました。今は、人口約29万人の地方都市ですが市内、郊外にも当時の史跡や美術品などがたくさん残存しています。2000年12月「慶州歴史遺跡地区」として南山地区、月城地区、大陵地区、泉龍寺地区、山城地区は、ユネスコ指定の世界文化遺産に登録されました。その世界文化遺産の一つである仏国寺は、壮麗にして精巧な新羅仏教芸術の最高峰であります。535年に創建され2000年後の最盛期には、現在の10倍のスケールにまで拡大されました。その後壬辰倭乱で焼失し、今の建物は、その後再修復されたものです。仏国寺は、新羅の人々が描いた仏の国、理想的な彼岸の世界を地上に移したものです。日本の日光東照宮を思わせる極彩色で細密に彩色された美しい大雄殿は、釈迦牟尼仏を安置した内部の装飾も見事ですし、極楽殿の阿弥陀仏など数多くの素晴らしい宝物があります。周辺の自然と人工美の調和が素晴らしかったです。韓国の人が一生に一度は、参詣したいと望む地だそうです。























仏国寺の境内にある男性的な釈迦塔と木造のように優美な多宝塔こそ仏国寺が目指す思想と芸術の精髄だと言えるもので、これは多宝如来と釈迦牟尼仏がここにいつも存在しているのだという象徴的な意味を持つ塔として、仏教の理念をこの土地に具現化しようと努力した新羅の人々の精神を表しているそうです。



















また、叶含山の東側にある仏国寺の付属の庵、石窟庵も751年金大城が両親のために創建したものですが(創建当時の名称は石仏寺)仏教性と芸術性において世界の宗教芸術史上で最も卓越したものです。また、その花崗岩を丸彫りにした本尊仏像は、宗教芸術の極地といわれ、蓮華でできた美しい頭の光は、霊光を放ちその神聖で荘厳な美しさには目を見張ります。仏国寺と石窟庵を極東アジアの仏教芸術の傑作であるとユネスコは、評しているそうです。























良洞村は、雪蒼山を主峰とし、稜線と渓谷が広がる姿は、漢字の”勿”に似ていますが朝鮮儒教文化が盛んであった15から16世紀にかけて形成された典型的な両班村(貴族の村)です。150戸360世帯の瓦の家とわらぶきの家が扇型に整備されたこの村は、朝鮮中・後期に渡って建てられた韓国独特の家屋構造です。瓦屋根の家屋は、大分高い所にあり、茅葺の家は、ほとんご平地にあります。そこに暮らす人々の営みをもそのまま目の当たりにすることができました。アースカラーで建てられた住居は、目にも優しくそこに穏やかに暮らしを営む人達のほっとする空間を作り上げていました。





















韓服は、女性は、短いジャケット風の上着(チョゴリ)とゆったりした線が特徴のスカート(チマ)を合わせて着、男性はチョゴリにズボン(パジ)を履きマゴジャ(上着)とチョッキなどを合わせたりします。現在では、特別な時にのみ着用しています。 韓服の美しさは、外観において表現された直線と曲線が織り成す優雅さと生地の持つ光沢と色彩、そして装飾との調和が醸す美しさです。チマの細かいギャザーは優雅で可憐です。かつては、百姓達は、祝祭や結婚のような特別な日以外は、白服を着用し、上流階級の人々は、明るい華やかな色の服をで着用することにより社会的地位を表しました。チマ・チョゴリと言うと極彩色を思い浮かべましたが私が目にしたのは、ホテルのバンケットルームの横笛のプライベートコンサートでの男女とも淡いパステルカラーの韓服でした。シルクの光沢も美しくなんとも優美な民族衣装でした。














韓国は日本の隣国でもあり、瓦屋根の建造物、緑多い山村の風景は、日本でも見かけるような親しみのある風景が広がっていました。そして韓服もその襟元などどことなく日本の着物との類似点が見受けられました。ただ街中の極彩色の看板などは、原色使いが多く日本との色彩感の違いを感じさせました。日本に歴史の中で様々な影響を与えた韓国は、世界遺産にいくつも名を連ねる素晴らしい仏教芸術、史跡の宝庫でした。韓国を色で表現すると国旗や赤と青の仏国寺の大雄殿に見られるような極彩色の世界でした。













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