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ポルトガル編



2005年4月17日より7泊8日の日程でロンドン経由でポルトガル、首都リスボンへ,そこから「谷間の真珠」と呼ばれる城壁に囲まれた歴代の王妃が愛した中世の面影を残す小さな美しい町オビドスへ向かいました。小高い丘の上に14世紀の城壁ですっぽりと囲まれた細長い三角形をした小さな町で石畳の狭い道、店、民家、教会、広場がこぢんまりとまとまっています。家々の白い壁に黄色、赤、青のペンキでアクセントをつけてぬられた可愛らしい家並みは、暮らしの豊かさを感じさせました。黄色のミモザが沿道一面に咲き乱れ、薄紫のライラック、白いすずかけなど色とりどりの花が軒先に咲き乱れていました。国中が緑に覆われていて、道路の路肩も緑の土手を上手に生かし、土と緑で作られていました。



















コインブラは、13世紀からの大学都市で有数の歴史を誇る名門大学のコインブラ大学があります。パソ・ダス・エスコラスといわれる旧大学部分は、極めて調和のとれた中世の建物が並んでいます。また、ポルトガル最高級の文化財でありコインブラの魅力をもっともイメージづける華麗な旧図書館や階段と坂道が交差しながら迷路のように入り組む旧市街など散策するには、魅力的なスポットがたくさんありました。私が訪れた時は、折しも大学の入学式が行われていたのか町では、たくさんの学生が集い学部を示す黄、赤、青のリボンをつけてカッパと言われる黒いマントを翻して町をねりあるく風習があるそうですがちょうどその光景に運よく出会うことができました。想いを込めた女性が裾を噛み切る風習があり裾の切れは、もてる男性の象徴となるそうです。



















バターリャとは、ポルトガル語で戦いを意味します。1385年近郊のアレジュバロタでカスティリャ軍を破り、ポルトガル軍の独立を守った歴史的な戦いがありました。ここには、インド航海を成功させたマヌエル一世の治世、巨万の富を蓄えた国家の財力により建築されたポルトガル独自のマヌエル様式と後期ゴシック様式に合体した過剰なぐらいに装飾を特徴とする荘厳な大修道院などの建築物が多く混在します。海洋やまた、外国で見たエキゾチックな風物をテーマにしたモチーフにして建築物の表面に刻み混んだ装飾豊かな建築物が目につきます。バターリャ修道院(正式名 「勝利の聖母マリア修道院」)は、10階建ての建物に匹敵するぐらい巨大でありながら繊細な精巧さも備えています。ゴシック・マヌエル様式で隙間無く精巧を極める石のレースのような装飾は、見応えがありました。









ポルトガルの最大の民族詩人カモニスが大叙事詩「ウズ・ルジアーダス」の中でポルトガルの地を指し、「ここで陸地果て海始まる」と記したユーラシア大陸最西端のロカ岬は、雄大な台地の突端にあります。海の色、空の色、どこまでも青く透明な自然が続きます。秋吉台のようなカルスト台地がヨーロッパ最西端にありました。










ナザレでバスを降りると大自然の景観が飛び込んできます。何層にも重なった地層と突き出た岩が自然のものすごさを感じさせます。岩の色も赤紫から黄色系と様々な色を提し空の青さとのコントラストが美しい。街並みは、白壁と茶色の屋根で街中の色がよく統一されていて美しい。コルクの林が街路沿い延々と続いていました。古代フェニキア人によって開かれた素朴な漁村でありますが高さ約100mもある垂直に近い絶景からの素晴らしい眺望が観光客をひきつけ、近年は、滞在型リゾートへと変貌しつつあります。いわしの塩焼きが絶品でした。











いたるところで目にするAZULEJO(アズレージョ)は、濃いブルーが基調のポルトガル独特のタイルですがとても雰囲気があり白壁の建物にも良くマッチしていました。アズレーションは、イスラムのムーア人たちがもたらしました。イスラムの建築、モスクなどに使われていました。木陰にもアズレージョのベンチがあり、トイレにもアズレージョが貼られていました。サン・ペント駅にもジョルジェ・コラコの見事なアズレージョの作品が貼られていましたがポルトガル地方の生活、塩田や農作業のなどの絵が描かれており素朴なものが多いですがとてもよくできていました。そこに描かれた絵は、緻密で美しかったです。一般の住宅は、赤茶色の屋根と白または、クリームの外壁で建てられていますが、良く塗り替えられていて農村地帯でも清潔感がありました。立派な家が多く人々の暮らしの豊かさを覗わされました。ポルトガルの青い空と照りつける強い太陽が白い家なみに鮮やかなコントラストを描き映えていました。大航海時代、海から発展したポルトガルを象徴する色は、なんと言っても空と海の青さではないでしょうか。














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